現象とか感情とか。

どうも~雨でアンニュイな大柴ですよ。お元気でっか!

 

寒いので温かくお過ごしくださいね。

山梨では、春はまだちょっと先のようですな。

 

なんだけど一方で変に暖かいので、間違って起きちゃった子カエルとか甲虫の幼虫とか、何度か道路で見かけます。

生きてたら救出するんだけどね。

 

ところで2年くらい気になっていた言葉がありまして。

それが「罪のない人が死んじゃったりするじゃないですか」って話。

あと最近見かけたのが「飢えや劣悪な環境で困窮しているのが不幸」って話。

 

どちらも外部からの視点なんですよね、と思いました。

どういうことかというと、

現場の状況がどうか、という考え方と、当事者がどう思っているかはまったく別なんですよね。

 

なのにこれをごちゃ混ぜにして、自分が見て思う「わあ不幸そうだな」という気持ちが、そのまま当事者の評価になっているのは、いかがなものかと思いました。

 

SNSを眺めているとものすごくたくさん流れてきます。

「芸人の●●さんは一流大学を卒業し家柄も名門なのに、なぜあんな芸人になったのでしょうか?」

なんてのもありました。もう笑うしかありません((´∀`))ケラケラ

3月は東日本大震災の日があるので、被災者の私としてはそれを思い出すんですが、それですらこの意識のずれがありました。

 

たとえば県外に避難し引っ越すと「不幸だったわね可哀想」の嵐に合うのですが、こちらとしては「引っ越せたのはラッキーだし、引っ越したことで成功した」という事実があると違和感がありますね。

 

多くの県外に出た被災者も、私も引っ越し後はしばらくこれでした。最初は違和感の正体に気付かなかったりして、ちょっと面倒でしたね。

 

さらに占いの場になってもこれがありまして。

災害が多い時代だけれど、

2011年3月の震災は誰にとっても大凶であったはずでしょう?違うんですか?じゃあ不幸じゃなかったとか言う人がいるんですか?人が死んでるんですよ?

という人がたまにいるんですね。

 

そりゃ人は死なない方がいいし、災害は完全にこの世に無くていいものなのですけど、それを本人がどう捉えているかは別なんですよ。

だから上記の言葉をぶつけてくる人は大抵「外側の人間」なのです。

そういう人は『2011年3月の運勢は悪い結果でなきゃウソだ』と思っているので、それは違うぞ、という話ですね。

 

去年からのコロナ禍で多くの人が「予期せぬ不幸」に見舞われているわけです。

コロナウイルスは存在しないほうがいいわけですし、関係ない人はいないわけですけど、それでも本当に全員が不幸だと思っているのかは、全員に聞いて回らないと分からないことだと、感情抜きで考える必要はあります。

 

これを言うと「なんて冷たい人だ」とか「人が死んでて幸せなわけないでしょ」とか言われるので、本当面倒ですね。コロナ禍でなくても同じなんですよ。そういうどこまでも感情で相手の幸不幸を評価するのは危険なんです。特に占い師はそうですね。

 

実際に去年から株価は上昇。コロナ関連グッズは売れ行き好調。これがあるので「良い」という人もいますし、それは誰にも分からんことですから。

自分の感覚で相手を「不幸なはず」と決めつけるのは、そろそろやめたいものですね。

 

現象と感情は別です。

本人がどう感じるかと、社会的にどう捉えられているか、本人以外の人が外から見てどう思うかは別物で、ごちゃ混ぜにしないことです。

 

劣悪な環境に生まれて生きてきた人が本当に不幸だと思っているかは分からないし、犯罪歴がない人が長生きしたいとも長生きできるとも限らないし、そもそも犯罪歴と寿命は関係ないし長生き=幸せではないのです。

 

 

ましてや占い師がこれを混ぜて境界の分からないままでいるのは、ちょっと整理した方が良いんじゃないの~、と思います。

 

占う時に「この人はこうだから幸せなはずで、なぜ幸せなはずなのにこういう問題になるのか」という、最初から「幸せであること」をベースに考えてしまうんで、問題の根本を見ないので、解決に至れないからですね。

 

そんなわけで、毎日が整理と勉強ですな~