9年目の話。其の弐

こんにちは~あまねですよ~。お元気ですかー!

 

今日は東日本大震災から9年ということで、前回に引き続き、その話題で書いてみますね。

最近もう毎日コロナウイルスの話で埋め尽くされておりますけど、参ってしまいますねえ。

 

と思いきや、これを書いている間にも、秋田県で震度4ですよ。

東日本大震災以来、ずっと余震が来ていますね。

9年経っても、なかなか終わらない感がありますねえ

募金のこと

今年もYahoo!がキャンペーンをおこなっています。

「311」で検索するごとに10円の募金ができる、というもの。

時代に合っていてとても良いなあと。

私ももちろん日付変わってすぐにやってみました。

 

募金に関しては、こうした大きい企業がやるのが一番いいのでしょうが、個人でもやってみたことがあります。

 

山梨に引っ越してすぐに起業した私は、県内の色んな出店イベントに出ていたので、募金箱を置いたり、売り上げの一部が募金になる企画をしてみたりしました。

 

山梨県民は案外優しいので(案外?)結構協力してくれる方が多かったですね。

 

手作りの入浴剤やアンティークカップ(コレクション大放出!)、バレンタインやホワイトデーが近い時はお菓子の香りのする石鹸を仕入れて、

『売り上げの半分をその場で募金します!』

と書いて売ってました。

目の前で募金箱に入れるのはなかなか良かったのかも、など、良い思い出。

 

山梨に来て良く聞いたのが「私が募金したお金はちゃんともらっただけえ?」ですね。

これがねえ、仙台市民は家族に死亡者がいたり、家が全壊か半壊でない限り、支援は受けられなかったのですよ。

私がいた5月末まではそうでした。

 

ですけど貸付制度などを利用できたのでそれは良かった。

やっぱり「募金て実際どこに行ってんの?」って思っちゃうよね。

 

もしあなたが日本赤十字社に募金してくださっていたら、とてもありがとうございます!

山梨に来てから市役所の方に「赤十字から家電が送られますからぜひ申請しましょう」と言っていただき、無事に家電一式を受け取ることができました!

これってすごくない??

 

テレビ(レグザさん)、洗濯機、電子レンジ、冷蔵庫、トースターだったと思います。

そのうちレグザさんだけを連れて離婚してしまったので、今となっては他の家電がどんなものだったか忘れてしまったのですが、レグザさんは元気です!!

 

ひとり暮らしの時は6畳の部屋には大きかった(笑)

今のお部屋にはちょうどです。夫も見てます。本当にありがたしです。

ボランティアのこと

同じ被災地でも、より被害が大きい地域へボランティアに行く方も多くいました。

私は家族の事情で離れることができないまま、5月末には山梨に引っ越しましたので、現地での作業はできませんでしたけど、上記のイベント出店していた時によく聞かれたことがありました。

 

それが「物資を送りたいんだけど、被災者に直接送るにはどうしたらいい?」という質問。

 

その時活用したのが『ボランティアプラットフォーム』というサイトでした。

今は海外ボランティアの募集サイトになってますけど、当時はマッチングサービスをやってくれていて、現地の人の「どんな物資が欲しいか」「どんなことに困っているのか」を掲載し、それを見た全国の人が本人に物資を送れるというもの。

 

このサイトをご紹介したことで、山梨の人から現地へ物資が行ったのではと思います。

実際「教えてくれてありがとう、ちゃんと洋服送ったよ」と言われたことも。

間接的でも協力することはできるんだなあと思いました。

当時のこと

Gigazineていう情報サイトさんが紹介しているのを見つけました。

東北大学が作っている

「東日本大震災公開動画検索システム」

というサイトで、当時撮られた動画が無数にネットの海に漂っているわけですが、それの位置を特定し、マップにまとめてくれています。

 

その中で仙台市泉区の動画を見つけました。

これ、揺れた時に私がいた場所にとても近いところです。

一番見やすいものをこちらに載せますね。

そしてこちらが、揺れが起きて6日目の仙台市泉区です。

私は震災が起きた時はこの泉区に住んでいましたので、なんとなく場所が分かります。

揺れた直後からなぜか大雪が降って、1週間はこんな感じでした。(山だったので)

寒いので給油に並ぶ車の中で一酸化炭素中毒で亡くなる人もいました。

 

明治や大正に起こった大災害は後世に伝える手段があまりなく、石碑を作ったりするしかなかったと思います。

けど今はこうしてデータに残せるから、それは良かったのかもしれませんね。

今後のこと

山梨に引っ越した当時は、揺れはあったものの現地に関してはあまりにも遠すぎて良く分かっていない方に

「津波被害にあってないってことは、被災者じゃないの?」

なんて言われてモヤっとしたこともありました。

 

が、今となってはそれもまあ許せる感じではあります。

それは、どんなに大きな出来事でも、そこまで感情移入したり「自分事」にしなくてもいいかなと思うからです。

 

他人事ではない、とか、寄り添ってとか、そういう言葉はよく聞くんですが、それは他人だからできることですよ。

上に挙げた映像などを見て具合が悪くなる人もいるんだそうですが、それだって、自分のことのように入り込んでしまうと大変です。

 

自分事にしなくていいし、苦労はできるだけしなくていいと思います。

ただ人間だから、過去の経験から学んで活かすことができます。

それでいいんじゃないかと思いますね。

 

最初に助けていただいた、山梨県甲州市の市長も、今月で辞職されるそうです。

甲州市は小さい町ですけど、山梨県内で一番先に被災者受け入れをしてくれて、住宅や物資を惜しみなく提供してくれました。

その市長も引退する年齢となり、時間の流れを感じます。

 

忘れるのが生き物の救いの一つなのですから、苦しい部分は忘れてもいいと思います。

それは忘れたからといって「なかったことにする」ということではありません。

ただし、きちんと未来に活かすことだけはしておくべきだと思いますね。