「まだ」とか「もう」とかいう話。

はいどうも、ヒキコモリーヌあまねですよ。お元気かしら?

 

毎日ゲリラ雷雨がありますね。

PCの大敵、雷様ですよ。

でも同じくらい虹も見られるので、それはそれで良しでしょうな。

これも地域性なので、この地域にいる時間を楽しむだけですわ。

 

地域と言えばね、先月仙台まで行ってまいりました。

お墓参りです。出身地なのです。

墓参りなら8月に行けよという意見もあるんですが、8月の仙台はホテル取れませんねん。

 

 色々と用事が済んで、最後に街中を観光する予定の日にたまたま市役所前を通ったら、市民広場でテレビ局主催の夏祭りが開催されていました。

 

これですね(YouTubeをどうぞ)


 どこでもよくあるイベントよ。

 

それでこちらでサンドイッチマンの企画があったんですけど、なんとMONKEY MAJIKとコラボして作った曲のライブをしていまして。

運よく聴くことができました!

 

撮影禁止だったので何も撮らずにきたのが残念ですが。。。

MONKEY MAJIKの公式HPにありましたので見てみてね♪

 http://www.monkeymajik.com/news/2018/07/831_monkey_majik/index.php

 

それでね、歌詞に宮城の美味しいグルメがたくさん出てくるのですよ。

富澤君が歌う(ツッコむ?)ところなのですが、

それで伊達ちゃんの「ゼロカロリー理論」で、宮城のグルメはどれだけ食べてもゼロカロリーなんだそうです!

イイネ!

ありがとうゼロカロリー!

 

いやいやそうじゃねえよ。(伊達風)

それを聴いた時にね、自分はなんて残念なヤツなんだと思いました。

だってこの人たち、まだずーーーっと宮城のことを考えて復興活動し続けようとしてるんですよ。

東日本大震災からこっち、ずーっとね。

7年も経ったのにね。

 

しかも尻すぼみするどころか、新しい活動としてこういう相手をつかまえてこういう曲を作ってしまったわけですね。

 

それに比べたら自分はどうかっていったら、

震災に関する記事は、まあ数本書いたんだけれども、

もう7年も経つからとか、

他の地域でも災害はたくさんあるからとか、

どっかでもう終わりなようが気がしていて、

そんな理由で勝手に見切りをつけてしまっていました。

 

そんなことに気付きました。

曲が宮城愛に溢れてて嬉しいとか単純にそういうことではなく、とにかく応援し続けるという力強さを感じた時間でした。

 

頑張っててすごいとか、自分も応援するわなんつうことは誰にでも分かる部分なわけだけども、

スタートした時に見つめている先がどこなのかって言ったら、

自分はとてもとても狭くて短距離で、

 

しかも「もういいか」なんて勝手に終わりを決めていて、

その終わりを決めたのも確固たる根拠があるわけでもなくて、

なんとなく世間が話題にしなくなったからとか、

もう来年はこのブログにも書くのやめようかとか、

他の地域のほうが大変だからとかいう流された気持ちだったことに気付いて、

ちょっと凹んだ・・・

 

それも自分も被災者なのにね。

これが被災地で心配している「忘れられること」なんだと思ったら、私はさっぱり分かっていなかったのだわ。

 

と、心にぐさりと来る感じだったのです。

 

そんな本日は「原爆の日」です。

これは災害ではないけれども・・・

 

でも「忘れる」ということのどうしようも抗いきれない悲しさとか寂しさが少し分かったような気がしました。

 

どうやっても当事者にはなれないのですけど、

当事者が後世伝えたいという気持ちは、

意味が分からなくても次世代が伝えていくべきなのだと思いました。

 

そのうち歴史の教科書的過去になるんでしょうが、それが分かっていても、忘れるという切なさはしょうがないことですね。

 

忘れられるほうはもちろん、

忘れるほうもまた、このどうしようもない寂しさには勝てませんねん。。。

 

「まだ」って「もういいでしょ」が隠れているし、

「もう」って他人事のような「忘れてたけどそういえば」が前提になっているような気がします。

どちらも使わずに「現在進行形」なのが理想です。