寄り添う話。

はいどうも~じっと座ってられないあまねですよ。お元気かしら。

 

なにって、先日尾てい骨を強打しまして。

平たく言うと、お尻で着地したんですよ階段の最後の段をね。

痛いので座ってらんないし、仕事難しいし、クラスに一人はいる落ち着いてじっと座っていられない子みたいになっているこの頃です。

 

まあそんな私の尻速報はこっちに置いといていいんですけど。

梅雨入りして雨続きなので、本日は太陽を感じる写真を貼っていきます♪

ちょっと前に「寄り添う」という話を友人としたのです。

寄り添うってなんなんだろうなと思いまして。

 

友人の知り合いには「寄り添ってなんかいられないよ、依存されたらたまんないし」という意見があるんだそうです。

なるほどなと思いました。

占い師界隈にはありそうな話ですね。

 

「寄り添う」って私にとっては「隣にいること」です。

河合隼雄先生も言っておられるような、カウンセラーが言うあのイメージそのままだと思うのですが、

 

「寄り添ってなんかいられないよ、依存されたらたまんないし」という意見は、

寄り添う=背負う

になっちゃっているんじゃないかなあと思いました。

 

そういうことなら私は背負いません。

背負うってたーいへん。

人の人生背負うなんて、私には能力足りなくてできませんしね。

でもできる人見たことないんだけどね。

もし「寄り添ってなんかいられないよ、依存されたらたまんないし」って言った人が「背負う」ことだと思っているなら、背負わない対策をしているんでしょうね。それ大事。

 

誰かに背負ってほしい、自分で歩きたくない・・・・

そういう人がいるのは事実で、でもそれは生きている以上無理だからそこをなんとか立たせてあげたいなあと思うのが人情で、かつ占い師さんだと思うんだけど、どうでしょう。

 

背負ってほしい人は背負ってくれる人を探しているので、背負うことと寄り添うことを混同している人はマッチングしてしまって、大変面倒な関係になっていたりします。

 

先日は歯車の話しましたけど(歯車の話。これです)、歯車のように需要と供給が噛み合ってしまうと離れられなくなるので、相談を受ける側の人は早めに混同をやめて整理しておかなくてはなりませんね。

 

「寄り添ってなんかいられないよ、依存されたらたまんないし」って言っているという友人の知り合いの方は、私のように

〇寄り添う

✕背負う

ではなく、

✕寄り添う

✕背負う

なんでしょうなあ。

それはそれでありですね。スタンスですから。

背負い過ぎる人がたまにいるので、困っていたらこういう風に伝えています。

 

①それは相手を背負ってしまってるんだよ。あなたは一人なのに、二人分の責任を負ってる。それ変じゃない?

背負っている自覚をしろという話です。

背負わされている人は背負っている自覚がないことが多いので、なんだか分からんけど困っているのです。

 

②相手を背負うことのメリットを考えてみて。

背負って困っているなら、今の状態にどんなメリットがあるのか考えてみましょう。という話。

「背負うことで相手を構ってやっている自分が心地良い」

「背負うことで相手を裏切っていない自分になれる」

などまだまだありますが、この辺がメリットじゃないですかねえ。

んで、これ必要ですか?ってことです。

気付ければやめられます。

 

③背負うことを断るのに抵抗があるなら、そのメリットを考えてみて。

「私あなたを背負うの無理だからやめて」って言うことに抵抗がある人もいます。

でもそのメリットってなんでしょう??

「相手を裏切ることになると自分が悪い気がするから、裏切らないことで罪悪感を感じたくない」

「背負うことを断るのは相手を拒否する自分の心が狭いから、狭いと思われたくないし優しいと思われたい」

などなど、②と似てますけどこんな感じでしょうか。

 

んでこれ、その相手じゃないと困ることですか?

結局誰でも良くない?

そもそも相手を背負わないと得られないほどのことか?

という話です。

人間は自分にメリットがなければその方法を選びません。

これはほぼ絶対といえます。

「いやいやメリットばっかり考えて行動してないだろ」という意見が当然あるんですけど、無意識だから考えてないんですよ必ずしも。

 

でも何となく選ぶとしても、脳が働いてメリットの大きい方を選んでいます。

それは普段考えているような表面的なメリットではないからです。

 

このイラストのように、毎日は選択の連続です。

だからこそメリットを考えて動くのが正解なんです。

正解であり生き物が生き抜くために自然であり、当たり前の普通のことです。

正解なのにどうして背負って困っているのか??

それが問題ですね。

 

そこで①に戻って、正解だと思っているのが実は間違いだって自覚しましょう。ということになるわけで。

自覚すれば裏切ると思っていたことが実は裏切り行為ではないと思えるし、優しいと思われたいなら他で優しさを出せばいいと思えます。

 

そんでも断れない人にはこんな風に言っています。

「私手がふたつしかないから、子供と仕事でキャパシティーオーバーなの。もう手がないからあなたは無理。」

と考えて。

 

手をつないで相手をよいしょって抱くことができないから、断りましょう。

手にたとえると自分でも視覚化できて良いですよ。

どう見ても無理って分かります。

自分が抱えているものが何か分かれば、相手は抱えるべきものでないことが分かる気がしませんか?

相手と良い関係を築きたいし、相手が良くなっていくように応援したいし手助けしたい、相手の役に立ちたい、そう思って占う人はたくさんいますので、「寄り添う」と「背負う」を明確にしておくことは無駄ではないかなあと思います。

 

時々占ってもらう側にもなる私にとっては、そのくらい真剣に考えてくれる占い師に出会えることは本当に幸運だなあとも思います。

 

そして占ってもらう側だからこそ、相手に必要以上に背負わせない配慮が必要だなあと思いますね。

お金払えば何でも背負ってくれる人ではないですからねえ。