12歳とアラフォーの話。

はいどうも〜6月のあまねですよ、お元気かしら?
ここから半年は夏への恨み節になりそうだから気をつけないと。
いや暑いよね。(言っちゃったけども)
私は「有料鑑定をするのは30歳からにしよう」と12歳のときに思って、それから本当に30歳の時に「鑑定でお金をもらう」ということをして、それでそれがデビューした形になりました。

 なんでそんな不思議な決め事をしたかっていうと、という話。

  
12歳の時に初めてタロットを手にしてからまず「私将来は占い師になるなあ」と思ったんですね。
ほんでその時からトップダウン方式の考え方で、一番上には目標の占いの仕事があって、一番下に12歳の自分がいて、占いの仕事を得るための条件を梯子を降ろすように下へ下へと書いていって、下からはその道をたどりながら登っていけば良いか~と考えたわけです。
  
当時の狭い狭い見識では占いの仕事に必要なものは「人生経験」とか「年齢」だと思ってたので、若いことへの抵抗や恥ずかしさがあって、「若いって嫌だなあ」という感覚でした。
毎日「早くトシとらないかなあ」という感じ。
  
「だって若造に相談なんか来るか?」という思いをいつも抱いていました。
いや相談する相手は私じゃなくてあくまで占いになんだけどね。それに気づかんかったの。
今は年齢にも重力にも紫外線にも全力で抵抗しているのでまったくそんなことは思わないのですけど、不思議な世界の狭さですね。

  

10代で占い業界デビューする超大物先生方を否定しているような感じですが、そういった方々に強い憧れを抱きつつも、自分は占いの勉強ができない環境にいましたので、そんな納得できない状況の自分を無理矢理納得させるための言い訳だったのかもしれません。

  

子供のうちは望む環境が手に入りませんからね。
アスリートは環境が味方しているものですが、私はそうじゃないし。

  

そしてそして今なら、占いというサービスを受けてクライアントが支払う対価が、自分の何に支払っているのかが分かるから、やっぱりそんなことは考えないのです。
占いに行って支払うお金は、やはり占い師の持つ技術に支払っていることになりますよね。

 

好きか嫌いかは自由ですから、感情には支払いませんし、好きじゃなくてもサービスを受けたら支払いますし、それが売買というものです。
反対から見れば、支払ってもらうには何が必須かっていったら、それは経験よりも確かな技術ですよね。

  

大好きで何らかの経験が豊富な人でも、シャッフルがおぼつかないとかこのカードなんだっけとか言うような人には支払う価値はまだないと言えます。
そのための占い教室とか講座ですね。

  

きちんと触れる、きちんと読み解ける、きちんと応対できる、そういう人ならもちろんいくつの人であっても関係ないわけで。
支払いたい、好きだから、という感情は自由だからその次の「ブランディング」の類かと思います。

  

でも狭い世界だったしガキんちょだったので、支払う価値がある占いに「経験」やら「年齢」やらを混ぜて考えていたので、こうなったわけで。

  

それで年を取るのを待つ間、どうせ生きるなら好きなことをしようと思って、やってみたい業界に片っ端から入ってみたのですね。
ペットやらリラクゼーションやら歯科やら物販やら。。。
結果それらの経験が今執筆に生かせているので、儲けましたわ(笑)

 転職しまくったけど、良い経験でした。生かせているのはきっと良い経験。

 

何が言いたいかわからなくなって来たけど、対価に見合うものって技術ってこと。
当時のことは覚えていないけれど、12歳の私はそんな言い訳は実は半分だけで、後の半分は
「おまえ三十路までには何がなんでもモノになってろよ」
という未来の自分への脅しだったのかもしれません。

  

そして若くして占いを学んでいる方には、その境遇の羨ましさと、その年齢だけが見えて感知ができる独特の感性をリスペクトして、ぜひ占ってもらいたいなあと思う時があります。

  

だってその年齢はその時だけのものだし、知ってしまったら二度と戻れないもの。
戻れない代わりに次の年代の感性にまた新たに触れて染まっていくので、結局どんな年齢になっても充分はないし、嫌でも積んでいくものなんですねえ。

  

そんなこの頃ですよ。 
この気持ちこそ、しみじみ年齢を感じるところですわ。