歯車の話。

こんにちは~どうも5月のあまねですよ。お元気かしら。

 

4月はなんだか忙しくって、最後の1週間~ゴールデンウィーク半ばまで徹夜な毎日でございました。

お肌に悪いわい。

そして夏に突入したかのごとき高温注意な本日。

これから半年は夏が続くのね。(体感) 

私が思うに、人はみんな歯車にたとえられると思うんですよ。あの歯車ですね。ギザギザのあれ。

どうしてかっていうと

 

・穴の数が決まっているので、噛み合う数が限られる。

・形が合わない、かみ合わない歯車がある。

・形を変えればかみ合う歯車が変わる。

 

こんな点からです。

なんだかみんな人みたい。と思ったもので。

「なんだか雰囲気が合わない」

「合った瞬間から合わないと思った」

「この人とは短時間でも分かり合える」

みたいな表現がたくさんあるけれど、そのどれもが曖昧なので、歯車で考えてみることにしました。

 

歯車は反転した形のものしかかみ合わないので、自分の歯車の形にかみ合う人しか周りに来ないのは当たり前です。かみ合わない人のほうが当然多いので、そこらへんは自動スルーしています。

 

 

最初からかみ合う形の人は短時間に意気投合するので、自分でも分かるようになっている、ということ。

じゃあかみ合わない人は?っていうと、それは簡単ですよね。かみ合わないような全然違った形をしているのです。あった瞬間のかみ合わなさって、本当に全く違う形なんじゃないのかな。

 

「じゃあ合わない人とは一生分かり合えないのか?」

っていうと、これがそんなことはないのです。人間は歯車の形を変えることができます。ああ便利。相手に合わせて形を変化させれば、合うようになります。

 

面倒なのはここからです。

 

かみ合う人---★---かみ合わない人

 

真ん中の★の部分って、とても流動的なのです。自分から見て端に位置する人は極端なので楽ですが、自分で形を変えることができるので、真ん中の★部分に位置する人に形を変えて、かみ合うように変化することができます。

 

「それイイネ」と思うかもしれませんが、それが自分に有益かどうか別なのがやっかいです。

「最初はそうでもなかったけれど、最近つかまえるオトコはみんなダメな人ばっかりで・・・」

て言う人がたまにいるのですけど、これみたいな場合って、自分の形を相手に寄せてってないかな?と思ったりするんです。

他にも、小さいころから「お前の形をオレに合わせろ!」「おまえが合わせるべき!」みたいに教わって育つと、自分をねじまげて相手に合う形に自動的に変化してしまう人もいます。

 

良くも悪くも、形が変わるからそれにはまる人も変わる。これが人間関係のゆるやかな変化かなと思います。

 

そして、いつまでも理想の人がやってこないって嘆く人。これが自分の形を変えない人かなと思います。

 

それから、その時はすごく必要だったけれど、色々と状況が変わったら不必要になって自然に去っていった。これが運命の人かなと思います。運命の人って、「一生一緒にいる人」じゃないのは周知の事実です。

 

自分の形は変えたくない。でも理想はあるので、なんとか叶えたい。

理想の相手がさっぱり見つからない

 

これって、「自分の形を変えないぞ」って決めたのは自分なんだから、自己責任じゃないかしら。変えないぞって決めるっていうことは、その形に合う人しか来ないわけで。変えないなら形の違う人は来ませんしハマりませんよ。

 

そして、自己責任ってたまに言葉が独り歩きしていますが、こういうことを指すのだと思います。

嫌いな人に絡まれるなら、その人にハマらない形になればいい。理想の人と出会いたいなら、その人にハマる形に自分で変化すればいい。ということになるのですが、

 

それができたら苦労しないし!

なんて思いますね。思うでしょう。それは形の変え方が分からないだけなんですが、その狭くなった視野を広げて思ってもいなかった角度から気付かせてくれるのが占いなんだと思います。

 

占いを受けて

「ああ、そういうこと!」

ってしっくりきて腑に落ちるのって、形を変えるヒントをもらったからかもしれません。思ってもみなかった角度からの意見って、聞いただけで形変わるんですよ。だからその後に起こる出来事も変わるわけ。

 

 

・穴の数が決まっているので、噛み合う数が限られる。

これ、最近相談を受けました。Aさんと似ているBさんが現れると、AさんとBさんがすり替わってしまって、Aさんとは疎遠になってしまう。これはどうしてだろう。

 

というもの。これ、思うのは

〇AさんとBさんが似ていると決めたのは自分

〇歯車のかみ合う穴の形は数に限りがある。

 

ということを考えると、

知らないうちにAさんとBさんを同じ人に仕立ててしまったうえに、自分のキャパシティー(ハマる穴の数)は増えないわけだから、結局一人としかかみ合わなくてどっちかが疎遠になってしまうのでは?

 

と伝えました。これも小さな自己責任ですよね。AさんとBさんは違う人なのに、自分で「同じ人」に分類したのだから。同じ人に分類しなければ、疎遠にはならなかったかもしらん。

とはいえ、キャパシティーが増えない以上はオーバーしてしまっては困るので、自分が自動的に分類して選択したのかもしれません。それは必要だからやっていること。悪いことではありません。

 

でもその人は疎遠になると寂しがるので、嫌なんだと。

だからこう提案してみました。

 

「似ている人がいるということをひとネタにして、Aさんにラインしてみよう!」

 

「今日さ~あんたに似た人に会ったわ~マジ受ける」

という一言をAさんに送っておけば、疎遠にならなくて良いんじゃない?って言っときました。新しく出会ったBさんとも疎遠にはなりませんしね。

 

それでも、疎遠になる時はなるものです。それはやっぱり自分が変化したのですよ。よいではありませんか。それを成長と呼ぶのかもしれないんだから。

 

この「歯車理論」を言い出したのは私の師匠ですが、教えてくれたわけではなく、「人は歯車みたいなもんだから」という一言をくれたのがきっかけでした。何年も前になります。そこから自分で色々と考えてみたのが、こんな感じです。

 

そしてタロットのソードの8(右の)みたいに「良く考えれば逃げられるけど逃げない状況」ってのも、歯車を変えない人なのかなあ。悪魔のカード(左の)のゆるゆるの鎖もそう?悪いと分かってても逃げたくないの?変わりたくないの?

 

そう、変わりたくないのです。なぜなら人間の脳は変化したがらないから。したがらないから視野を狭くして、変化のきっかけを自ら見えないようにしています。

 

なんとも人間くさくていいですね。けして「意識高い系」ではないけれど、根源にあるわがままって気がしますわ。

 

歯車の形を変えていくこと、つまり精神性を高めていくことで、恋人のカードに描かれるようなエデンに行けるのかしら?神との統合に近づくのかしら?生命の樹のてっぺんに近づけるの??とかって頭の中が静かに暴走するわけです。

 

昔ストーカー被害にあったことがあるのですけど、

「ハマらないな、おかしいな、私の形にハマれよ」って追って来るのがストーカーなのかしら。なんてたまに思います。

 

(このくどい話はなんとなく次に続きます)