偶然の話。

どうも~顔の左半分だけ日焼けしているあまねですよ。お元気かしら。

 

左側に窓があるのよね。。。たまに後ろ向いて仕事することにするわ。

今月は東北大震災があった3月11日があるから、それに関することを書いてみようかねえとか言って前回書いたわけだけど、

今回もそんな感じになります。

 

この時期になると、色々な番組で震災の特集が組まれます。

散歩番組なんかでも、東北に行ってみたりしていますね。

たまに知っている地域が出ると面白くて見ちゃうわけ。

だってもう街が知っていた頃の陰もないんだものね。

 

そういった番組で住人にインタビューするわけだけど、

小学生だったりすると

「その頃は憶えていません」とかいうことになって

あらやだそんなに経ったのね。

と思って増えた白髪とかシミとか最終的に増えた体重まで流れた月日のせいにしそうになったりします。

 

それはそうと、こういうインタビューに答える人たちの話す内容にこんな共通点を感じました。

それは

「自分は生かされた」

と感じているということです。

被災者の人たちが言うのは、
「それは偶然が重なって生かされた」ということです。
たくさんの偶然が重なって、自分は助かったようです。
水がここまで来たのに、
壁がここまで倒れてきたのに、
それでも自分は運よく助かった。
そして
「今死ぬときではないと感じた」とのことでした。

 

それは亡くなった人が死ぬ運命だったという安易な意味ではなく、
「生きる」という強い力が湧いてくるのは、
そういう前向きな心の状態であったことが共通しているんだなあと感じたのです。
偶然とかたまたまとかいう話をするなら、私にもあります。
あの地震の前兆の地震が宮城県県北沖であった時、
私は仙台市の中でも海岸方面のマンションの8階に住んでいました。
そこで後に前兆と言われる大きな地震にみまわれたわけですが、
あなたもう8階って大変よ。

水槽の上層にいたグッピーの稚魚たちがカーペットに飛び出して、目地に入ってしまって拾うのが大変。

壁の時計は落ちるし、

びっくりしたエビも飛び出すし、

エレベーターは基本止まるし、

出勤時間だったもんだから、私は出掛ける間際。

 

家を出るのを遅らせて、キッチンの掃除をしました。

冷蔵庫の扉が開いて牛乳と納豆と豆腐とヨーグルトと漬物と卵が床で混ざり合っているわけね。

お皿の中でも有り得ない食材の共演でした。

 

そんなことで

「あー大きい地震きたらここじゃ危ないわ。よっしゃ引っ越そ。」

翌月には市内でも山側の、温泉とスキー場が見えちゃうくらいの別荘地の中にある一戸建てに住んでいました。

この前兆の地震から半年で、東北大震災が来ました。

 

半年って別に偶然でもないでしょ?って思うでしょ。

これを

「偶然」

「生かされた」

「私はまだ死ぬ時ではなかったんだ」

と思うことで、乗り越えられるだけの力が沸いてくるのです。

そういう理由作るのが大事なわけで(身も蓋もない言い方だ)。

 

生きる理由があると、生きようという気が湧いてきます。

私のようなあんまり被害のなかった人間ですらそう思います。

 

震災の日は私は自宅ではなく、

野菜とか花とか売ってる物産販売所の大きな駐車場のド真ん中にいました。

 

自分は幸運だと思いました。

頭上には電線すらない、

周囲には他の車もない、

ただフェンスで囲まれたところです。

 

そしてネットが復旧した後偶然見つけた地域が

東北大震災の被災者支援を行っていて

ケーブルテレビとか市営住宅とか電気代とかの補助をしてくれる街で、

それが現在の生息地です。

程度の差がかなりあるので一緒だとは思いませんが、

それでも「生かされた」と思うことってこんなに前向きにさせてくれます。

 

さて本日もそろそろ去りますが、

最後に被災中の話をば。

 

・実は私は義援金を1円も頂いていません。

家族が死んでいない、瀕死でもない、家が倒壊していないので、対象ではありませんでした。

被災地域外の人からは、義援金は被災者全員が受け取っていると思われているようで。。。

 

・とはいえ移り住んだ先の市が取り計らってくれて、赤十字の支援を頂くことができました。

家電一式頂いて、今も大きなテレビと一緒に住んでいます。

赤十字に募金してくださった皆さんありがとうございます。

 

・ある避難所に送られてきたブルボンのお菓子が大人気に。

そこには

「このお菓子は向井理様から依頼を受けてブルボンが代理発送しております」

て書いてあったから。

正直ちょっといいなあと思ったわ。理さん男前・・・。

 

・日本ソムリエ協会の炊き出しがすごいと話題に。

本格ミネストローネとワインが振る舞われました。レベル高くてびっくり。

 

・我が家のガスを復旧させたのは大阪ガスの技術者さん。ありがとうお風呂入れました。

ガス復旧前はIHにでかい寸胴をかけて、お湯沸かして髪を洗っていました。

家族のシャンプーをしている時、私美容師になれるかもと思いました。

 

・実は避難所には食料が届いていたけど、自宅避難者には配布されなかったから、大変な地域もありました。

だって当時は断捨離が流行っていたから、ほとんどの家庭で買い置きがなかったのです。

我が家は買い過ぎる家庭でしたが・・・。

 

・当時我が家には糖尿病患者がいましたが、目の前にインスリン注射があっても調剤薬局では売ってくれませんでした。医師の処方箋がないからです。

処方どころか病院だって大変な時なのでしょうがないのかもしれません。

けどそれがないと患者は危険です。

インスリンは薬だから買いだめもできないものなので。

これなんとかならないのかな。

考えなきゃいけないところだと思うんだけど。