共時的後日談其の弐。

はいこんにちは、2月最初のあまねですよ。お元気かしら。

 

1月って毎年あっという間で、なんだか毎回「1月の記憶がない」って思いません?

私だけですかそうですか。

先月末~今月頭にかけてたまたま仕事が重なりまくって、

夜中まで書き続けるという売れっ子のようなことをしてしまいました。

 

そんで本日やっと一息つきました。

20時間以上PCを立ち上げたなかったのは久しぶりです。

前回からの、茶会という甘美な会の話ですが、

その少し前に某所で、凄いなあといつも思っているある方から

 

「目に映る全てのことがメッセージですよ!!」

という半分お叱りのようなでもあたたかなメッセージをいただきまして。

 

ああ気づきましたか。ユーミンですね。

あなたトシばれますよ。もちろん私もですよ。

 

そこで、

「はっ!」

と気づく・・・

という展開ではなく、

「あ~、そうだった」

というホッとした気持ちになりました。

はいこんな感じでですね、

頭の中の今まで暗くなっていた部分に突如スポットライトが当たった感じなのです。

 

その時、「この占術に自己責任という考え方はあるか?」

というわけ分かんない問いを投げていたのです。

 

自己責任って、たとえば

「どうしてこの人にこんな嫌なことされるのかなあ」

と占いの場で依頼人に聞かれたとすると

「それってその人のせいじゃなくて、あなたがこうしているのが悪いんですよ」

 

とカード等が答える、という場面を想定して聞いたわけですが。

 

メッセージの真意は、つまり

「占ってそのカードが出たならそのまま読めば良いでしょ」

ということです。

頭に(ごちゃごちゃ言ってないで)が付きます。

 

どうしてそんなことを聞いたのかというと、
私は良く知らない占術に敬意を払いたいと思うからです。

適切でない質問をしては悪いような気がするので。

なので不適切な質問をより分けるために聞くんですが、

 

ごちゃごちゃ言ってないで、って最終的に言われたんでしょうなあ。

でもでも、さっきの頭のイラストのように、

以前からそういうような「すべてのものがメッセージ」的な考え方は大切にしています。

それがむしろベースですね。

おそらく20年前から頭にありました。

 

ただそれを分かっていても、その一方であえて何でも追求したい。

そういう気持ちが先走ってたみたいで。

 

突然スポットライトが当たって、

今まで暗がりにあった物が急にアクティブになるのは、ちょっと久しぶりかもしれません。

これを世間では「刺激」というのでしょうねえ。

刺激のない毎日でした。あっはっは。

 

このメッセージをいただいた時

「知ってますよ」

とはさすがに返せませんでしたが、

知ってました。

いや私それ知ってたじゃんねー(甲州弁)。

 

矛盾しているように見えますけど、

すべての事がメッセージであると理解しながら

一方で「それでも何かルールがあるのでは?」

と探しに行ってしまうという

そんな「分かれ道を同時に両方進みたい欲」があります。

 

一つのことを深く信じない性格だからですね。

「世間ではそう言ってるけど、それでも何かあるんじゃないの?」

とか思っちゃう。

この探求は、自己満足です。

納得できてよかったかも。

 

それに、「すべてのことがメッセージ」なら、

このメッセージを受け取ったその時こそ

きっと意味があるのです。

あると思うから、納得。

質問に対する回答はなく解決には至りませんでしたが、

それでも今まで眠っていた部分がアクティブになったのはとても良かった。

 

それは、その後にタロットお茶会があったので。

「すべてのことがメッセージ」スイッチをアクティブな状態で参加できたのは、アクティブでない時よりも収穫があったのではないかと思います。

 

こんな舞台にありそうな複数のスポットライトのように、

物事を一つの方向から眺めることができないので、

様々な角度の考え方が知りたいのですが、

結果それを肯定してもらえたような気分になりました。

 

多角的に見ないと、本当が分からないもんね。

いやそうしてみても、本当なんて分からないのに。

 

私のタロットの使い方は、他の方にはない方法かもしれません。

スプレッドをあまり使わないし、

複数枚出しても、読まない札もあります。

シグニフィケーターも特別出しません。

 

そのやり方に

「世間と違うのか~そんでもいいのかな~」

などと思っていたのですが、

そんな小さな不安が、

いただいたメッセージで一気に解消された気がします。

そんなものは人それぞれであり、

要は自分で肯定すれば良いのでした。

 

・・・あら共時的でも後日談でもないみたい。

まあ良いとする。